単純な仕事

大杉谷、光滝

お盆過ぎの夏休みに、紀伊半島南部を旅行をする計画を立てています。30代前半に中上健次の小説を幾つか読み、その舞台となっている熊野地方を、いつか訪れてみたいと思っていたのでした。代表作「岬」に私の好きな箇所があります。

「つるはしを打ちつけた。見事に根元まで入った。引き起す。土はふくれあがり、めくれる。つるはしを置いて、シャベルに代えた。腰を入れ、シャベルのかどに足をかけ、土をすくった。外に、ほうり出す。汗が出た」「なによりも働いたという感じになった。この単純さが好きだった」「土がめくれる。それは、つるはしを打ちつけて引いた力の分だけめくれあがるのだった。スコップですくう。それはスコップですくあげる時の、腰の入れ方できまり、腕の力を入れた分だけ、スコップは土をすくいあげる。なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方が好きだった」

小児科の外来診療には似たところがあります。検査データや画像を見るのではなく、対象である子どもを見て、聞いて、屈みこんで、聴いて、触って、といった具合に、こちらの頭だけでなく体を働かせる仕事です。受診する子どもの症状は「発熱」とそのバリエーションのことが多く、その原因も「かぜ」のバリエーションのことが多く、どちらかというと単純ですが、ご高齢の方のように体が複雑なかたちで弱っているということが子どもでは稀なので、こちらがどのように見立て対応するか、ということに正直に答えが返ってきます。

「路地を左にまがった踏み切りの横に、一本植わっている木が、ゆっくりと、葉をゆすっていた。彼は、その木が自分と似ているように思えた。なんの木か知らなかった。知りたくもなかった。花も実もつけなかった。ただ日に向って葉を広げ、風にゆれていた。それでいいと思った。花も実もつけることなど要らない。名前などなくていい。彼は、その木をみながら、夢を、いま見ている気がした」

難しい病気の原因や治療法をみつけ、後世に名が残るようなことはなくても、一日の診療をやり遂げた自分が満足できていればそれでいい、それ以上のものを自分は要らない、と思っています。

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