華々しい意思

「自分の感受性くらい」や「倚りかからず」などで知られる茨木のり子さんの詩集に、ドキッとする作品があります。
落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ / 落ちこぼれ いまは自嘲や出来そこないの謂 / 落ちこぼれないための ばかばくしも切ない修行 / 落ちこぼれにこそ 魅力も風合いも薫るのに / 落ちこぼれの実 いっぱい包容できるのが豊かな大地 / それならお前が落ちこぼれろ はい、女としてはとっくに落ちこぼれ / 落ちこぼれずに旨げに成って むざむざ食われてなるものか / 落ちこぼれ 結果でなく / 落ちこぼれ 華々しい意志であれ
「集団行動」であったり「勉強」であったり、現代の園や学校、私たちの社会で主に評価されることに対して、興味がなかったり好きでなかったりして、それらに反発して枠をはみ出す子どもがいます。そのような子どもに、「集団行動」や「勉強」を皆と同じように同じやり方でできるように「療育」したり「治療」したりすることが発達診療には求められてしまいがちです。発達診療の看板を掲げている手前、私も部分的にはその方向性で進めるのですが、それだけではなく、興味がわきやすくしたり好きになりやすくしたりその子なりのやり方でできるよう工夫したりすることの重要性、そして、「他者への優しさがある」「身体を動かすのが上手である」など別の観点からも子どもを評価することの必要性を親御さんや先生に伝える診療にしたいと思っています。
しかし、この詩は、子どもが反発して枠をはみ出そうとしてくるそのエネルギーを、発達診療のように一見すると優しそうでいて結局のところはそのエネルギーを何とか「丸め込もう」とする試みを通り越して、「そうだ、それでいいんだ、そのエネルギーを失うな」と正面から受け止めようとしているように感じます。子どもの心を想像すると、これはとても大切なことで、このように受け止めてくれる大人がその子の周りに誰か一人でもいなければならないはずです。枠にはめられることに反発する→あらゆることに反抗するようになる・挑発的になる→反社会的な人生を送る・心の健康を損なう、という流れを阻止することが発達診療の究極的な目標ですし、さすがにそのような最終段階にはなってほしくないのですが、反発する子どもはあっていい、枠をはみ出ることは美しい、そのエネルギーはしばしば社会の活力となる、反発し続けることではじめて救われる人生もある、とも考えさせられます。
それにしても、「華々しい意思」、詩人の言葉はやはり素敵だと、つくづく思います。
