給食

給食に関して「完食しなければいけない」であったり「全員が食べ終わるまで昼休みの遊びに出れない」であったり、少し前まで行なわれていたそういったことは流石に少なくなっているようです。一方で「すべてのものを必ず一口は食べなければいけない」とか「15分以内に食べなければならない」とか「盛り付けのときに減らすのはいいけれど盛り付けたものは完食しなければいけない」とかはまだ当然のように行なわれているようです。
馬鹿々々しいにもほどがあります。嫌いなものを美味しくなさそうに一口食べることが、好きなものを美味しそうに食べることよりも尊いと考えることは、人生に対する冒瀆だと私は考えます。友達といろいろなことを話しながらゆっくり時間をかけて食べることに勝る教育はありえないでしょう。盛り付けてみたけれど実際には多すぎたとか好きでなかったとかは子どもでは仕方がないことで、食べ物を粗末にしない姿勢は家庭で親がそうしていれば自然と子どもも身につけていきます。子どもが残す量など大した量ではないのですから、「食品ロスが..」とか「貧しい国の子どもは..」と言うのであれば莫大な無駄を出している社会経済システムを大人が何とかするべきなのです。
先生や学校だけが悪い訳ではありません。親も「園や学校で指導してくれたおかけげ野菜が一口は食べられるようになった」としばしば言いますし「あわよくばこのまま他の苦手なことにも挑戦して克服していってほしい」とすら考えるのです。その背景には「苦手なことに挑戦したり嫌いなことでも頑張ったりするのは最も価値があることなのだ」という社会の認識があるように思います。価値が無いとは言いませんが、「最も価値がある」と考える社会はとっくに限界を超えていて、「相談する」「工夫する」「回避する(他の道を探る)」力が個人にも社会にももっと必要だという気がします。
子ども時代に好きなことをする時間を存分に味わい、得意なことを自らの意思で更に頑張ることこそ尊いのだと周囲からポジティブな視線を向けられ、大人たちが「苦手なことに挑戦する」「嫌いなことも頑張る」ようにもするけれど必要なら「相談する」「工夫する」「回避する(他の道を探る)」こともしている姿を見て育つことが、何より大切なのではないかと考えています。