中田さんのこと

中田英寿さんがプロデュースする日本酒・日本食文化の祭典「CRAFT SAKE WEEK 2025」が六本木で開催されていて、種類豊富な美味しいお酒と食事を楽しんできました。彼がいまどんなことをしているのかにも興味があったのです。
私が医学部の学生だった頃、彼は高校を卒業してJリーグにデビューしました。その時点でリーグ最高の日本人選手だと一目でわかりました。日本代表にデビューした韓国戦、「ようやくこれで暫くは韓国に負けないのだ」と胸が熱くなりました。研修医として派遣されていた茨城県の病院の下宿アパートである夜、各部屋からウォーという地響きのような歓声が一斉に上がりました、彼の3アシストでワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの奇跡」です。
彼がイタリアに渡ってからはテレビの「セリエAダイジェスト」を欠かさず視ましたし、彼のブログをフォローするようになりました。私自身も小児科医としてキャリアを歩み始め、試行錯誤していた時期にちょうど重なりました。教授の伝手や先達の紹介でなく自分で留学先とコンタクトを取り、知り合いも誰一人いない病院と街に飛びこみ、奨学金が無いばかりか(その国の)医師免許も無いのに臨床の研修をしてくるという、誰もしたことのない完全にオリジナルの留学をする勇気を持てたのは、分野は違えど同じイタリアで先を歩いていた彼の存在があったからだと思います。翌年からの私の留学は既に決まっていた2006年夏、彼の引退が発表された翌日、駅のキオスクにあるすべてのスポーツ新聞を買ってホームのベンチに腰掛けて貪るようにそれを読み、呆然と動けないまま半日過ごしたことを覚えています。
彼は今でも「自分の頭で考える」「自分の納得したことをする」のを続けているのだなと感じました。私自身がそうでもあるし、より一層そうありたいとも思っています。尊敬していますし、これからもほぼ同世代の同時代人として歳を重ねていければと思っています。