新聞記事を読んで

槍ヶ岳の夜明け

こんな新聞記事がありました。会員限定記事となっている後半は読んでいませんが、前半だけでも大切なことが書かれていました。https://www.tokyo-np.co.jp/article/514679

子どもが「落ち着きなく動き回る」「衝動的な行動をする」ということがあったとき、園や学校の先生が「子どもがこちらの思うようにしてくれないと困る」という理由で診断・療育・投薬を求めて医療機関を受診するということは、残念ながらそうとしか見えないこともあるとはいえ、必ずしも多くありません。「集中できずに子ども自身が困っている」「わかっていてもついつい失敗してしまうことで子ども自身が傷ついている」(先生や保護者など大人がそのように判断した)ということで受診なさいます。これらは確かに「子どもの視点で考える」という大切なことではあり、看過すべきではありませんが、集中できずに困ってしまうことが多くならないようにする工夫(集中の妨げとなる刺激を減らす、など)をまず十分するべきではないか、他の多くの子どもにとっては適しているからといってそれが適さない子どもにまで同じことをさせて失敗させ傷つかせるということをそもそもそろそろ終わりにしないといけないのではないか、ということなのだと思います。

この記事で発言されているのは精神科医ですが、私たち小児科医には私たち特有の問題もあります。私たちには「保護者からよく話を聞き、十分に話し合い、子どものための最善を実現していこう」という態度が染みついていて、「保護者や先生など子どもに関わる大人は、当事者である子どもより理性的な存在でもあり、その大人から話を聞けば、子どものことは正確にわかるはずだ」「大人とよく話し合いさえすれば、子どものための最善に辿り着くに違いない」というようになりがちで、そうすると、「集中できずに子ども自身が困っている」「わかっていてもついつい失敗してしまうことで子ども自身が傷ついている」と言われたら、診断・療育・投薬まで一直線となってしまうのです。確かに子ども自身が言語化できないことやある程度広い視野や経験に基づく判断がまだできない場面はたくさんありますから、大人が代わりをする必要はどうしても出てきますが、子どもを人格ある個人として尊重する姿勢を失わず、あくまで謙虚にそれをする必要があります。まずは日々の診療において、大人同士の話し合いにできるだけ子どもを参加させること、大人だけで話し合って辿り着いた「最善」ではなく子ども自身の声も反映した「次善」の価値を積極的に認める姿勢を示していくこと、などを意識してみたいと思います。

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