ドラえもん

大杉谷

50年前、「ドラえもん」の描かれた時代、子どもも大人も現代より幸せであったのではないかと私は思います。のび太もジャイアンも叱られる機会が多く、彼ら自身、困ってはいたかもしれませんが、「診断」というかたちで社会から特別扱いされたり「療育」で苦手なことを練習させられたり「内服」で大人しくさせられたりということはなかったのです。

親や先生も子どもの行動に困ってはいたはずですが、少なくとも「この子どもは発達障害ではないか?」と悩む必要はなかったのです。そして、その子どもたちは、のび太もジャイアンも、とても立派な大人になっていったのです。

「診断」「療育」「内服」があることで救われる子どもやその周囲の大人がいることは間違いありません。その一部は「診断」「療育」「内服」でしか救われることがないかもしれません。しかし、そのようなシステム、そのような流れに頼ることなく多くの子どもが救われる社会は可能だったはずであり、「診断」「療育」「内服」という流れとシステムができてしまったがために、そのような社会で生きる権利を子どもたちは奪われたのではないでしょうか。そのような社会は可能だった、そして、そのような社会は確かにかつて存在した(漫画というかたちとはいえ、それが受け入れられたということは、当時の読者にとってそれは全くのファンタジーではなかった)、と私は考えます。

「しょうがいないな、いつもいつも、のび太くんは…」とこぼしながらも結局は助けてくれるドラえもんのような存在さえあれば、子どもは育っていくものではないでしょうか。

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