専攻医たちのその後

ガスリーニ小児病院の中庭にて、小児神経精神科専攻医の同僚と

イタリア留学時代、小児神経精神科で研修中の専攻医たちと過ごしました。医師国家試験後に専攻医となるための選抜試験があるのですが、イタリア全国に名の知れた小児病院の神経精神科ですから、専攻医枠が1学年2‐3人のところ毎年10人近く応募がある狭き門で、そこを通過した優秀な若者たちです。専攻医期間は5年間なので5学年合計10-12人くらいの専攻医が病棟、外来、検査室などに分かれて働きます。みな20歳台後半ですから木曜になると「週末をどう楽しむか」で皆そわそわして、金曜午後はさっさと(良く言えば「手早く」)仕事を終えていました。

今でも小児病院に残って働いているのはMargherita, Elisa, Laura, Giuliaです(ちなみに、みな子育て中の女性です)。なかでもMargheritaは専攻医のときから英語論文を雑誌に幾つも書いていて誰からも一目置かれていましたが、今では「てんかん」部門で責任ある立場になっています。Elisaも「不随意運動」の専門家として素晴らしい仕事をしています。ジェノヴァを離れた人もいて、Silviaはパリにいると聞きました。

当時から公私ともに特に仲良く過ごし、今回の旅行でも一緒だったTiziana, Marisolはジェノヴァの地域発達支援センターで、それぞれ別の地域を統括する責任者になっています。唯一の男性だったEnzoは小児だけでなく思春期~高齢者まで精神疾患の方が訪れる支援センターで責任者をしながら特に思春期の若者の心の問題に取り組んでいます。この3人の友達が共通して言っていたのが「当事者同士の対話(ダイアローグ)」の大切さで、支援の一部として積極的に後押しするようにしているとのことでした。

遠く離れた地でかつての同僚が自分と同じ領域で情熱をもって仕事を続けていることは私にとって大いに励みになります。20歳台は若者の生活を謳歌しながらも一生の仕事の基礎となることをしっかり学び、30歳台以降に子育てをしながらも仕事と学びを続け、40歳台以降は責任ある立場にもなっていく、ただし同じ職場で働き続けるばかりでなく自分の関心や家庭の状況、仕事の条件などによって柔軟に職場を移っていく。イタリア人にとってそれは普通のことで、私も勤務医から開業医への転身のように能動的に人生プランを変更することに躊躇いを感じなかったのだと思います。

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