小さな医療

子どもたちの将来に少しでも良い社会を残すためには早急にこの国の在り方を「小さな政府」に転換していく必要があると考えています。減らすべきなのは消費税ではなく社会保険料で、福祉(医療、介護、年金)を効率化、つまり不可欠な最低限のラインは維持しつつも支出を大幅に削減するしかないのです。そのような政策を掲げる国政政党が漸く出てきたと思ったら高等教育の税金化というバラマキを言い始める始末で、アメリカやアルゼンチンのような大胆な改革がこの国には望めないのかと暗鬱な気持ちになります。
福祉の支出に占める小児医療の割合は低いですし、社会の存続という意味で子どもへの投資は最重要ですが、それでもやはり効率化という視点は必要です。新しい診断(遺伝子検査など)、新しい治療(高額治療薬など)、新しい施策(5歳児健診など)を偉い先生方が競っていますが、そのような余裕はこの国には既に無く、何を減らすか、何を中止するか、のほうがよっぽど大切なのです。子どもの健康(を守るための最低限のライン)を最大限守りつつ子どもの医療に関わる支出を減らすにはどうしたらいいのか、子どもへの「小さな医療」はどのようなものとなるべきなのか、考えることがあります。
何より守るべきは救急医療で、重症の子どもがいつでも原則無料で高度な医療が受けられるよう、人的にも経済的にも出来得る限りの資源をつぎ込むべきだと思います。ただし高次医療を担う救命救急病院だけがあればいいかというとそうではなく、重症感染症予防のための予防接種や重症の子どもを適切に見極める初期診療の充実も必要不可欠です。本当に必要な救急医療を適切に機能させるためには、高度な医療の対象や期間が限定される(救命治療と延命治療の線引きが明確になる)と共に、軽症での救急車要請や救急外来受診は相応の自己負担を求められていきますから、どのような状態になったら救急医療にかかるべきなのか親御さんは初期診療の段階で情報提供されている必要があります。
次に重要なのは子どものこころの診療ではないでしょうか。子どもの自殺や不登校の増加は社会にとってこれ以上ない深刻な事態だと私は思っていて、医療だけでできることの限界があるにしても、少なくとも今の体制は不十分過ぎます。このことについても児童精神科医が増えさえすればいいというものではなく、乳幼児健診や普段の診察場面を通じて「子どもの自己主張を歓迎する」「子どもの自己決定を尊重する」文化を作っていくという困難な課題に親御さんと共に取り組む、身近な小児科医の存在は重要になってくると私は思います。
このように、本当に必要なことに限定された「小さな医療」においても、開業小児科医が果たせる役割はたくさんあると私は考えます。感染症迅速検査をして風邪薬や花粉症薬、保湿剤を処方する外来はもう終わりにしなければなりません。そのようなことまで公的に賄うような余裕はこの国にはもうなく、「安全」はしっかり保証されたうえで尚且つ「安心」を求めたい人は自費で行なっていただく方向に否応なくなっていくでしょう。かかりつけ医として責任を持つことになった子どもの心と体の全体的な健康に気を配り、その子どもの変化によく気付き、親御さんとコミュニケーションをよく取る、そのような役割が開業小児科医に求められていくのではないかと思います。