下山して考えた

北アルプスで燕岳から槍ヶ岳までの縦走をしてきました。今回のルートはここ最近の中では比較的ハードなものであったにも関わらず疲労が少なめで回復も早い印象がありました。3つ要因が考えられます。1つめは事前にジムに通ったこと。登山で使う筋肉とマシンで鍛える筋肉と完全には一致しませんが、基本となる筋力が安定しているので「からだが楽に動く」感覚がありました。2つめはサプリメントを摂取したこと。早朝の出発前に「飲むゼリー」タイプでカロリーと塩分を補給し、一日の行程終了後は山小屋に試供品として置かれていた披露回復目的のそれ(「アミノバイタル」)をいただきました。そして最後の3つめ、ひょっとするとこれが一番有効だったのではないかと思いますが、トレッキングポール(スキー用具のストックに似た杖)を使ったこと。登りと降りとで使い方を工夫すると、かなり足腰への負担が軽減されている実感がありました。
この3つはいずれも、これまで私のなかで、自然なことではないのではないか、できればそれをしたくない、という気持ちがありました。私にとって登山とは、美しい景観を楽しんだり登頂の達成感を得たりするだけでなく、できるだけ自然なかたちで「自然」のなかにしばしのあいだ存在することでもあります。人工的なもの、近代の科学や技術があまりにも便利にし過ぎたものをできるだけ減らしたいとは今でも思っています。ですが、普段は一日通してパソコンの前に座っている50歳台の都市生活者が、かつてはごく限られた人だけしか踏み入ることのできなかった険しい高山を目指そうと思えば、自然でないことも取り入れなければいけないのかもしれません。
子どもの育ちももっと「自然」のなかにあって欲しいという気持ちは常にあります。存分に体を動かせる広い野山がそこにあり、興味の赴くままに過ごすことが許され、動画やゲームが存在しない代わりに自分たちで遊びをみつけたり考えたりしながら、親の仕事を傍らで目にすることで将来自分にとって必要となることを身につけていく、という環境にあったなら、「落ち着きがない」「集団行動ができない」「怒りっぽい」などのために診断名をつけられたり内服をさせられたりする子どもは大幅に減るのではないかと思います。残念ながら、私たちの社会、子どもの生活は、そのような「自然」とはかけ離れたものになりました。後戻りはできませんから、現実的にいまこの社会で生きていくことになるその子どもにとってどうしても必要なときは診断をしたり処方をしたりもしなければならず、それが私の仕事です。もう私たちは「自然」を離れているのだから、自然でないことでも効率的なことは受け入れるべきなのかもしれません。
ですが、しかし、便利になった装備をフル活用して山を征服していきたいとは私は思いません。「自然」に対してあくまで謙虚に、必要なところに少しだけ、進歩した技術の力を借りたいと考えます。診療においても同様に、「検査」をして「診断基準」に照らして「診断」をして「療育」に送って「投薬」をして、という一見すると効率的なサイクルにどっぷり浸かることは私にはできません。それぞれの子どもがもともと自然に持っている可能性に対してあくまで謙虚に、必要なところに少しだけ、それら「検査」「診断基準」「診断」「療育」「投薬」の力を借りる程度にしたいと感じています。
