親にとっての子育てとは

大杉谷、ニコニコ滝

以前に紹介した「子どもの文化人類学」(原ひろ子著、ちくま学芸文庫)の中で、カナダ極北で暮らす原住民「ヘヤー・インディアン」の子育てが紹介されています。一部を抜き出してみます。

「ヘヤー・インディアンは、親子のつながりを日本人ほどには強く考えません。親には親の運命があり、子には子の運命があると思っています。また親が有能な猟師だから、子も猟が上手になるだろうといったことを期待しません。子どもは自分自身の力で猟の腕をみがき、運命をきりひらいていくものだと考えているのです」

「ヘヤー・インディアンは、『はたらく』ことと『あそぶ』ことと『やすむ』ことを、それぞれ区別しています」「さて、『育児』という活動を、ヘヤーの人びとは『はたらく』『あそぶ』『やすむ』の、どのカテゴリーに入れていると思われるでしょうか。なんと『あそぶ』ことの中に入っているのです」「しつけをする責任を養育者がもっていないということが、育児を『楽しみ』とのみ受け取りうる背景となっているかもしれないと私は思います。『ひとがひとに忠告したり、命令したりすることはできない』と考えているヘヤー・インディアンは、赤ん坊に対してさえも、『一個の独立した人格』として接しています。しかもその子どもの運命や将来は、その子自身できりひらくものであって、育て方によってその子の将来が決まるのだといった考え方をしないのですから、気楽なものです」

「しかし、ヘヤー・インディアンは、実に、一人ひとりの子どもをよく観察し、それぞれの子どものことをよく知っています」「ですからあそばせ方もじょうずですし、危険を未然に防ぐことも心得ています」「表現をかえるならば、ヘヤー・インディアンは子どもたちの生態を観察することによって、人間について学んでいるのだともいえそうです。日本人の親の中には、『自分の子は、こうあってほしい』という願いが強いあまりに、かえって自分の子どものありのままの姿が見えなくなっている人があるといわれます。そういう意味では、子どもたちをあるがままに見ることの達人、ヘヤー・インディアンに学ぶべきかもしれません」

「このように書いてくると、『ヘヤー・インディアンは子どもをおもちゃにしているのではないか』とお感じになる方がいるかもしれません。子どもをおとなのおもちゃとして、もてあそびすぎないための歯止めになっているのが、さきほどもちょっとふれた、子どもをおとなと対等の、独立の人格としてあつかう精神です。ですから、おとなは子どもに対して、ひじょうに謙虚であるのです。そして対等なのですから、子どもに対して、へつらうこともありません」(「子どもの文化人類学」(原ひろ子著、ちくま学芸文庫))

どう思われるでしょうか?私は卒倒するほどの衝撃を受けました。歴史も社会も異なるので、まったく同じにできるわけでもないですし同じにする必要もありませんが、私たちが子育てに行き詰まったときに見方を少し変えてみるためのヒントが隠されているような気がします。

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