親子の距離
お金をいっさい当てにすることなく特別な燃えるような情熱を感じ、それを何よりも愛しているという自覚を持つような対象。そんな対象が子どもの中に誕生し発展していくために親は何ができるのでしょうか?イタリアの小説家ナタリア・ギンズブルグは「自由で静寂な空間を保証することだ」と書いています。
「親と子どものあいだに流れる関係は、思考と感情の生き生きとした交換であるべきだが、それでもそこに静寂の深い領域がなければならない。親密な関係でなければならないが、それでも子どもの内奥に乱暴に侵入してはならない。親は子どもにとって重要でなければならないが重要すぎてはならない、好ましくあるべきだが好ましすぎてはならない、なぜなら子どもが親と同じようになろうとしたり、親の仕事のまねをしたり、友人のなかに親の姿を探そうとしたりしてしまうから。親は子どもと友人の関係にあるべきだが友人になり過ぎてはならない、なぜなら親に言わないことを言える真の友人を持つことが難しくなってしまうから。親は子どもにとって単なる出発点で、そこから子どもが跳ね上がる踏切版を提供すべきなのだ。一方で親は、もし子どもに助けが必要ならいつでも助けることのできる場所にいなければならない。子どもが、自分は親の所有物ではないが親は自分に対して責任があり、いつも近くの部屋にいて、考えうるあらゆる質問や要求にできうるかぎり答える準備ができていると感じられるようにしなくてはならない」(「小さな美徳」)
そのためには親自身が人生において情熱や愛の対象を、子ども以外にも持つことが重要なのだと書いています。そのような対象を持つことで、「子どもを所有する」(子どもが親から与えられたすべてを返すこと、子どもが親の望むものになること、そして子どもが親の作品になることを要求する)という感覚から距離を取ることができ、自由で静寂な空間で子どもの精神が跳躍するときが来るまで待つことができるようになるからです。