アドリアーナ(Adriana)
18年ほど前のある晩、神楽坂のトラットリアでアマーロ(イタリアの食後酒)を飲みました。翌日も同じトラットリアで食事を終えると、給仕のイタリア人女性から「今日もアマーロを飲みますか‽」と訊かれました。「何か別の食後酒を」と頼むとよく冷えたリモンチェッロを注いで「ストレートで飲みます」と教えてくれました。
リモンチェッロの産地が近いナポリ出身で、ナポリ東洋大学の日本語学科から都内の大学に一年間の留学中でした。イタリア語を教えてもらうことになり、様々なことについて話しました。三島由紀夫や吉本ばななのようには欧米で知られていない戦後日本の重要な作家は誰かと訊かれたので中上健次を紹介し、逆にナポリ出身の喜劇役者トト(Toto’)を教えてくれました。日本の漫画については私よりも詳しく、魚介類をよく食べるナポリの人らしく刺身の新鮮さは日本人と同じようにわかるのですが、納豆は「あれは腐っている」と言って食べませんでした。
私がジェノヴァに住んでいた頃、彼女はヴェネツィアで勉強していました。会いに行くと迷路のような街の中をよく歩きましたが、あるとき歩いて歩いて町外れまで連れていかれたことがあって何かと思ったら、私の好きなビスタチオのジェラートがヴェネツィアで最も美味しいジェラート屋さんを目指していたのでした。すっかり気に入った中上健次についての卒論を書いていて、日本語の添削を頼まれましたが、ほとんど直すところはありませんでした。
私が2年間の留学を終えて日本に帰る前にはナポリを案内してくれました。彼女のお気に入りのピッツェリア(Pizzeria Di Matteo)でマルゲリータを一口頬張ったとき、かつて経験したことの無い美味しさに思わず涙がこぼれました。2年間の終わりにこの美しい街を見た、ついにナポリのピッツァを食べた、自分はこの2年間ですべてをした、イタリアを離れるにあたって思い残すことは無い、という気持ちでした。「ナポリを見て死ね」は本当です。