38年前

サン・マルコ広場(Piazza San Marco), ヴェネツィア

アンチ巨人であった父親がその野球帽を買ってくれたおかげで、東京では珍しく子どもの頃から阪神ファンでした。38年前は中学校1年生でしたが、真弓・バース・掛布・岡田の活躍に胸躍らせながらテレビ中継を視ていたのを覚えています。その後は応援の甲斐なくがっかりすることが多く、何となく「自分が生きている間にもう1回はないかもしれないな」と思うようになっていました。

昨年イタリア・サッカー1部リーグ(セリエA)ではナポリが33年振りに優勝しました。33年前の優勝はマラドーナがいたときでした。バースが大阪でそうであるようにマラドーナもナポリの街では今でも聖人のように崇められています。なかなか結果を出せないチームであっても(結果を出せないからこそ?)熱狂的に愛されている、いわば溺愛されているのも阪神とナポリで似ている気がします。

野球やサッカーのチームを溺愛することは、それが私たちの現実生活で叶わなかった夢の投影であったり不満の捌け口であったりしたとしても通常は誰にも迷惑をかけません(一方で子どもに対しては、幼少期はどんなに溺愛してもしすぎることはありませんが、ある年齢以降は溺愛「だけ」になっていないか、何かの投影や捌け口になっていないかを少し冷静になって考える必要があるかもしれません)。自分が生きている間に阪神の優勝があと1回あるかどうかは今度こそわかりませんが、待つことにはもう慣れましたし、大きな期待もしないので、気長に待ちたいと思います。

【おまけ】イタリアの街と日本の街を比べて雰囲気が似ているとよく言われるのは、ナポリと大阪(活気ある庶民の街)、ミラノと東京(大都会で経済の中心)、ローマと京都(古い都で歴史的建造物が多い)です。個人的にはトリノと名古屋(トリノにはFIAT、名古屋にはTOYOTAがある。街の魅力が過小評価されやすい)、ジェノヴァと神戸(背後から山に迫られながら海沿いに広がる大きな町で、新しい港がある)も共通点があると思います。ヴェネツィアは似ている現代の街が思い浮かばないのですが、江戸時代の江戸は小さい運河が発達していて似た雰囲気だったのかもしれません。

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