家庭内隔離

カンピ・サレンティーナ(Campi Salentina), プーリア州  「ローカル線 駅の昼下がり」

この3年半の間に「家庭内隔離」という言葉が使われるようになりました。以前に「努力義務」という言葉の矛盾について書いたことがありますが、「家庭」という本来であれば庇護され安心できる場所の中に「隔離」という排除の力が入り込むことがあたかも当然になってしまうことに危機感を抱いています。

その都度よく考えましょう。「その感染症は本当に伝染してはいけない性質のものか?(不安が強くゼロリスクを求めがちな国民性をいいことに、煽られ過ぎていないか?)」「隔離することで伝染を防ぐことはどのくらい可能か?」「隔離が及ぼす家族各人への負の影響(身体的影響だけでなく心理社会的影響も含む)の総和は、隔離によって得られるかもしれないメリットと比べて十分に低いと言えるか?」「そのような隔離に溢れた社会、相互に監視しあう社会は人の心身が健やかでいられる社会なのか?」。

通常の風邪含めほぼすべての感染症は伝染するもので、ほぼすべての感染症は稀ではあっても重症になるものですから、ゼロリスクを求め始めたら家族一緒の生活は成り立たないはずで、どこかで線を引く必要があると考えます。「家庭内隔離」を試みてみていい状況として私は小児科領域では「新生児のRSウイルス感染症」くらいしか思いつきません。新生児のいる家庭の幼児のお兄ちゃんお姉ちゃんに咳や鼻水があって、その原因ウイルスがRSウイルスというウイルスだったとき、新生児に伝染してしまうと一定割合で重症になってしまうのですが、確かに小児科医としてこのようなことが少ないに越したことは無いと思います。その場合に限って、「お兄ちゃんお姉ちゃんはしばらく遠くから赤ちゃんを見ていてね」「お父さんお母さんは赤ちゃんに触れる前にはできるだけ手を洗ってくださいね」くらいの対策はしたほうがいいのではないかと思います。

ただしそのようなときも「でも風邪が赤ちゃんにうつってもお兄ちゃんお姉ちゃんのせいじゃないよ」「お父さんお母さんのせいでもないですよ」「家族みんなでなら乗り越えられますよ」「小児科医も協力します」と伝えることを忘れないようにしたいと思います。外から帰ってきたら手を洗ってうがいをしようね、くらいの衛生観念は(年齢によっては)あってもいいかもしれませんが、他人はウイルスを持っているかもしれない・自分もウイルスを持っているかもしれない、と繰り返し教え込むことは、してはいけないのではないか、私はそう思います。

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