子どもの楽園
明治の開国の頃に日本を訪れた欧米人たちは日本を観察して多くの記述を残しました。それらの記述を通して当時の日本社会について考察した「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社ライブラリー、1998)という本があるのですが、そのなかに「子どもの楽園」という章があります。その頃の日本では子育てが著しく寛容な方法で行われ、社会全体に子どもを愛護し尊重する気風があることに欧米人がひどく驚き、「子どもの楽園」という記述をしたというのです。以下はこの本に引用されている欧米人たちの記述です。
「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない」「子どもがどんなにやんちゃでも叱ったり懲らしめたりしている有様を見たことがない」「子どもに対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれない」「これほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を他所では見たことがない」「父も母も、自分の子に誇りを持っていて、その程度はほとんど”溺愛”に達している」「親の最大の関心は子どもの教育だが、子どもたちの遊戯や祭礼には干渉せず、子どもたちは自分たちだけで遊び、自分たちだけの独立した世界を持つ」
「彼らほど愉快で楽しそうな子どもたちは他所では見られない」「子どもたちの主たる運動場は街中であり、交通のことなど少しも構わずに彼ら同士の遊びに没頭する」「大人から大事にされることに慣れているので街中でも馬や乗り物を避けない」「日本の子どもは滅多に泣かない(罰も無く、咎められることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもないからであろう)」「彼らに注がれる愛情はただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われる」「決して彼らが甘やかされてだめになることはなく、分別がつくと見なされる歳(6-10歳)になると自ら進んで好ましい態度を身につけていく」「日本の子どもは世界で一等可愛い子どもである」
現代においても6-10歳までの子育てに必要なことはほぼこれらに尽きるように思うのですが、このように子どもを愛しがり可愛がるというのは個人(それぞれの大人)の能力ではなく、今は消え去った一つの文明が濃淡の差はあれ万人(社会のすべての大人)に授けた能力だった、という点が重要だと思います。そのような文明が既に消え去った現代の私たちはどうしたらいいのか途方に暮れますが、子どもに携わる大人が、まずはできる範囲で、「子どもを親切に取り扱う」「子どもに深い注意を払う」「叱ったり懲らしめたりしない」「禁止や不平の言葉を口にしない」「自分の子どもに喜びを覚え、誇りを持ち、溺愛する」「子どもたちの遊戯に干渉しない」などを実践するしかないのではないでしょうか。少なくとも、省庁を作ったり療育を充実させたりしてどうにかなることではないと思います。