幅広い知識

イタリア小児神経精神学会リグーリア州地方会, ベルジェッジ(Bergeggi)(学会場からの眺め)

2月から3月にかけて日本は試験の季節です。私もこれまで高校受験、大学受験、医師国家試験、専門医試験など数多くの試験を受けてきました。過ぎてしまえばそれまでですが、それぞれそれなりに大変でしたし、もう一度受けたいかと言われたら受けたくはありません。

しかし今でもときどき夢に見るのはこれらの試験ではなく、医学部5年生から6年生に進級するときに受けた試験、特に、興味を持てなかったため十分に勉強せず、内容を理解しないまま試験直前に丸暗記して臨んだ「外科」や「胸部外科」や「歯科」の試験です。「知識を確認するためにもう一度すべての医師に試験をすることになった」とか「あのときの試験をもう一度やり直して卒業が妥当だったか見直すことになった」とかパターンは様々なのですが、夢だとは半ば知りつつそれでも焦り苦しみながら目を醒ますことになる、何とも嫌な夢です。

小児科医として働き始めるとこれらの科目の知識が必要となることはほぼ無く、一見すると無駄なようですが、一通りのことを学んでおくことは(今となっては)大切なことだと思っていて、何故なら、幅広い知識を背景に判断することこそ医師に求められることだと考えるからです。薬に関することは薬剤師が、療養に関することは看護師が、それぞれが専門性をもって自律的に(=医師の指示を必要としないで)判断して動くことが今後ますます必要となるはずで、かなり高度なことについてまでそれは可能だと思うのですが、そのとき医師には、進むべき方向性を誤らないようにしたり関係者間のコミュニケーションをまとめたりするような、総合的な視点を必要とする役割が残されるだろうと思います。

病気や臓器によって対象を区切ったり「からだ」と「こころ」を区分けしたりすることがない小児科はまさに「そこに携わる誰もが当然のように総合的な視点で考えている」診療科であるはずで、それゆえに私はこの仕事を愛してきましたが、この4年間、果たして本当にそうなのか、疑問を持つようになりました。社会において幅広い教養を有する人たちが「感染対策は人間を幸福にしない」ともっと声を上げるべきであったように、医療において幅広い視点を有する小児科医は「感染対策は子どもを健康にしない」ともっと声を上げるべきではなかったのか、そんなことを考え続けています(結局いつもこの話で終わることになってしまって、すみません)。

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