子どもの要求

イセルニア(Isernia), モリーゼ州

児童精神科医である佐々木正美先生は著書「子どもへのまなざし」の中で、育児とは子どもの(あらゆる)要求に(何度でも繰り返し)応じ続けることである、ということを書かれました。小児科医としてそのようなことを教わったことはありませんでしたし、感覚的にも“あらゆる要求に応じることなどできないのではないか?”, “応じるべきでない要求もあるのではないか?”と思っていました。けれど、自分が子育てをする段になり、寝て起きてミルクを欲しがってをただ延々と繰り返す新生児と暮らすようになってみて、育児の本質はまさに佐々木先生の書かれていたことなのではないかと感じました。

年齢が低ければ低いほど、回数は多いけれど応じやすい要求が多いです。低年齢のうちに子どもの様子をできる限り注意深く観察して要求のサインを見逃さずに応じることで、穏やかに表出しても要求は必ず応じてもらえるものだと子どもは安心しやすくなります。激しい表出をしなくなり、(年齢が上がるにつれ少しずつ)要求が通らないことが稀にあっても不安がらない(=受け入れられる)ことに繋がります。親にとっては確かに大変なことで、自分自身や家事のために割ける時間は少なくなりますが、社会や制度のせいではなく生物としての人間にとって変わらない子育ての本質です。そこから逃げず、夫婦で分担したり家事の手を抜けるところは抜いたりしながら低年齢の時期を乗り切るしかなく、そうすると後で必ず楽になってくると思います。

これを続けるための工夫が幾つかあります。1つめは、子どもからの要求、特に“コミュニケーションを取ろうという要求”を見逃さないようにこちらの姿勢を万全に整えておくことです。2つめは、“応じられない要求”が発生する状況をあらかじめ減らすことです。子どもをベビーカーに乗せて親がスマホを見続けることはこれらの逆になります。ベビーカーに乗った子どもがコミュニケーションを取ろうとしたり何らかの感情の変化を表したときに後ろからそれを察知することは難しいですし、スマホをいじっていたらまずは無理です。また、親がそんなにも熱中するスマホを自分も見たい・触りたいという要求を子どもに生じさせてしまって低年齢であればあるほど際限がなくなりますから、子どもの前では極力スマホを取り出さないほうが後が楽です。批判はしたくありません、批判はできません。各人なりの考えと状況というものがあり、誰も正解は知らないのですから。でも、後が大変になる可能性があるよ、とは思います。

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