集団健診

イタリアてんかん学会(夕食パーティー)、ヴェネツィア(Venezia)

感染対策をみてもわかるように、一度始めたことを検証する、そして検証して無意味ならやめる、ということを私たちは余りにもしなさすぎると思います。一斉一律に行なわれる集団健診(乳幼児健診、学校健診、職場健診)もそうです。病院に勤務していたとき、半年に1度の職場健診でデフォルトだった胸部のX線撮影を私は断っていました。無症状の肺がんがみつかる可能性はあるのでしょうが、非喫煙者ですし、わずかではあっても不要なX線を浴びることを避けたいと考えたからです。結核が多かった時代にできあがったと思われるこのような既得権益化したシステムと予算を、現代の勤労者の最も重要な問題である心の不調の相談事業に振り分けるべきだと思います。

時代に即したものであるべき、という観点からすると乳幼児集団健診(1歳半、3歳、そして今後は5歳)の最大の目的は「発達障害のスクリーニング」なのかもしれません。はっきりした身体の病気(生まれつきの病気など)は現代の日本ではそれまでにほぼ発見されるからです。私が子どもの頃のように幼稚園に2年間通うだけで就学するのであれば、他の子どもと接する機会が少ない子どもと親御さんが1歳半・3歳(・5歳)などの節目に発達に関して知識や経験のある保健師・心理士・医師と面談する機会は有用でしょう。「何となく気になっていたけど相談する機会が無かった」という人は少なくなかったと思います。

しかし現代の日本では0-1歳から保育園に通う子が多いですし、幼稚園に通う場合も3年間通うことがほとんどです。子どもに「他の多くの子どもとはやや異なるところがある」とき、集団生活を送るなかでそのことに親、保育士、教師が気が付いて、そこから相談に繋がっていくことが多いです。1歳半健診でわかりやすい「言葉の遅れ」をきっかけに相談が始まる子どもはそれなりにいるものの、3歳健診で「かんしゃく」「こだわり」「落ち着きのなさ」などをきっかけに相談が始まることはとても少ないように感じます。

「他の多くの人と少しでも異なるところがあるのは良くないこと(異常)だ」と考える傾向の強い社会において、集団健診の場で初めて会う人達から「子どもの発達」という極めて重要な事柄について「異なるところ(=良くないところ=異常)」を指摘されても、あまり前向きに受け取ることはできないのではないかと思いますし、指摘する側も遠慮してしまう、ということがあるように感じています。「異なるところがある」と気が付いたとき、まず皆が知恵を絞って対応を工夫し、そうするなかで、専門家に相談しやすい環境を更に充実させる(すべての一般小児科医が窓口として機能することを義務付けるなど)ことが重要だと考えます。

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