夏休み

あまりにも南イタリア的な1枚、
レッチェ(Lecce)、プーリア州

イタリアで過ごした2年間、夏休みになると南イタリアを旅行しました。1年目はシチリア島、2年目はイタリア半島最南端部でした。どうせ暑いのならカラッと気持ちがいいほど暑く、きれいな海に飛び込めるほうがいいと考えたからです(留学していたジェノヴァも港町ですが、美しい砂浜はありません)。

シチリアではパレルモ(Palermo)郊外の海辺の保養地に宿泊しながら参加する2週間ほどのイタリア語教室に申し込みました。午前中に授業があり午後は海水浴をしたり街に出かけたり自由に過ごします。週末は授業の代わりにアグリジェント(Agrigento), チェファルー(Cefalu’), エオリエ諸島(Isole Eolie)への小旅行がありました。パレルモは活気があって歴史的建造物も多くとても美しい街で、食べ物もとても美味しかった(ウニのパスタをはじめ海産物、そしてグラニータやカンノーロなどのドルチェ)のですが、北アフリカからの熱風(シロッコ)が吹いて地獄の釜のような暑さでしたから、今度行くときは7-8月を避けるだろうなと思います。

半島最南端の旅では長靴の「爪先」(カラブリア州)から「踵」(プーリア州)まで、ぐるっと海岸沿いにローカル電車に乗りました。コゼンツァ(Cosenza), トロペア(Tropea), レッジョカラブリア(Reggio Calabria), クロトーネ(Crotone), マテーラ(Matera), ターラント(Taranto), バーリ(Bari)などを経てレッチェ(Lecce)で夏休みを過ごす友達に合流しました。日本に置き換えれば秋田県の能代から青森県の津軽半島まで五能線に乗って、それから太平洋側に移動し、青森県の八戸から岩手県の宮古や釜石を経由して宮城県の気仙沼まで三陸鉄道に乗って東北を一周してきたという感じです。日常生活が非常にのんびりしていて、電車も遅延が普通(24時間以上遅れることも!)なのですが、なんと私が踏破したローカル線ではこのとき全く遅延がなく、一度などは2-3分遅れて駅に到着したら電車が出発していた、ということすらありました。友達からは「ありえない奇跡」と言われました。

「夏の日の昼過ぎ時刻、誰彼の午睡するとき、私は野原を走っていった。私は希望を唇に嚙みつぶして、私はギロギロする目で諦めていた。ああ、生きていた、私は生きていた!」(中原中也「少年時」)

 

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