鈴木先生のこと

イタリア中部の風景、ウンブリア州

丁寧な診療には詳しい問診が必要で、そうするとどうしても親御さんとの話ばかりになって、子どもはいつの間にか蚊帳の外になってしまいます。自分に関することなのに自分が主役になっていない時間を過ごさなければならないことが子どもの心に与える影響をとても危惧しています。私たち大人自身に置き換えて想像してみましょう。家族に付き添われて医療機関を受診し、自分について家族と医師の間でのみ話がされ、ようやく自分の番になったと思ったらシャツをめくって口を開けるように言われ、その後でまた家族と医師の間で話がされて診療が終わるとしたら、どうでしょう。そんな診療にはもう行きたくないと思うのではないでしょうか(大人はそれができますが、子どもにはその選択権すらありません)。小児科の診療は随分と非常識なことをしています。

小学校5年生の最初の授業で、他校から転入して私のクラスの担任となった鈴木喜三郎先生は「このクラス(教室)の主人公は誰だと思うか?」ということを生徒に問いかけ、一人一人の考えを紙に書かせました。紙を集め終え、目を通し、こう仰いました。「ほとんどの子どもが“先生”と書き、誰一人として“生徒(子ども)”と書いていないけれど、このクラス(教室)の主人公は君たち生徒(子ども)なんだよ、今日からそういうクラスにしていこう、そう考える仲間を増やしていこう」。40年後の今でも十分に価値を持つ言葉で、クラス(教室)の主人公は生徒(子ども)であるということを本当に徹底できたら、不登校は減るのではないかと思います。

戦前の軍国主義教育により熱烈な愛国少年として育ち、何の疑問も感じないまま特攻隊員として出撃するはずであった日の1週間前に終戦を迎えた、という劇的な経歴をお持ちの先生でした。自分の受けた教育とは何だったのか、自分にそれを教えたにも関わらず戦後何食わぬ顔で180度態度を変えた大人達のようにならないためにはどうするべきなのか、こういったことを徹底的に考えた結果、教師になられたのでした。政治的には右から左へ急旋回してかなりはっきりとした立場をお持ちで、当時は私も大きな影響を受けました。ただ、世の中には正しさが一つしかないと考えていると右も左も結局は全体主義あるいは独裁主義になりかねないのだという危機感は希薄だったのでしょう。先生の考える正しさは一つで、結局のところ、先生の期待するように考え行動すればその子どもは「主人公として行動した」と褒められ、先生が期待するように考えたり行動したりをしなければその子どもは「大人に影響されていて、主人公になりきれていない」と叱られることがあったように思います。それでも、あれほどの情熱で私に関わってくれた教師は、後にも先にも他にいないのは間違いありません。

「ただ一つの正しさにもう到達した、これでいい」と止まってしまうのではなく、考え続け、変化し続けるしかありません。いま私が診察室の主役を子どもにするために実践していることとして、診察のはじめに親御さんだけでなく子どもの方にも向いて目を見て挨拶する、診察でシャツをめくってくれたときは「ありがとう」、診察後には「胸の音はきれいだったよ」と声をかける、検査が必要なのであればその理由を伝え「協力してね」と伝える(苦痛に耐えることを強いる「頑張ってね」と比べて、良いことのための共同作業なんだよ、という気持ちが伝わって欲しいと思っています)、などがありますが、その他にもまだ変えられることはあるはずだと思っています。

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