1歳半健診

サルデーニャ(Sardegna)

1歳半健診は、ざっくり言えば、子どもが「歩いているか」「喋っているか」をチェックする健診です。ほとんどの自治体で集団健診として行われ、基本的な部分は共通していますが、言語発達・精神発達の評価などは自治体によって方式がかなり異なり、その子どもが喋っている「意味のある言葉」の「数」だけを指標にしている自治体が未だにある一方で、コミュニケーションが取れるかどうかの質的評価を(時間と人をかけて)している自治体もあります。自閉スペクトラム症(ASD)の徴候が多くみられていないかをチェックするための質問紙を用いることなども試みられ始めています。

私は最近、1歳半ではASDとして「他人の視点を意識することなく自分の視点でのみ世界を見るように脳が働く」ことがもうできあがってしまっていて、ASDの「発見」はできるかもしれませんが、「有効な介入」は難しいのではないかと感じています。遺伝的背景を基盤として胎児期~乳児早期に脳の方向付けがなされ、乳児後期に「他人の視点を自然には意識しにくい」状態となっている子どもに対して適切な環境や対応(*1)を工夫することで、ASDではあっても生活の中で学んでいきやすくなったり(=知的な遅れが少なくなったり)、ASDらしい部分はありつつも社会生活上の支障が少なくなったり(=診断のレバルに該当しなくなったり)することはある(*2)ものの、それが可能なのは生後12-14か月くらいまでではないかと思います。

(*1)こちらが子どもの視界に入る、子どもからの些細な表出や発信に丁寧に応じる、生活の流れを一定にする、不快な刺激を減らす、などです。

(*2)このような可能性は私の妄想ではなく、ASDと診断された子どもの弟妹へ早期に介入をした研究によって実証されています。

6-7か月健診で「お座りをしているから順調」、9-10か月健診で「つかまり立ちをして積み木をつかむから順調」ということになって対人意識の質的評価がなされず、他人の視点を意識することを奪う電子メディア視聴への注意喚起もなされず、12-14か月の時期はすっ飛ばして1歳半健診で「ASDの疑い」と唐突に家族に突き付ける我が国の乳幼児健診システムは、(ASDへの有効な介入という意味では)はっきり言って機能していません。5歳児健診の導入が話題になっていますが、5歳になるまでは他の多くの子どもとの違いがはっきりしない(=知的な遅れのない)子どもは無理に医療の対象(=治療すべき“病気”をもつ子ども)にするのではなく保育・教育がその子どもの気質を踏まえて上手く工夫して対応すればそれでいいのではないかと私は思っていて、むしろ生後12-14か月の重要性について小児科医自身がまず認識を新たにする必要があるのではないかと思います。

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