切り替えが悪い

ジェノヴァ旧市街

発達診療で相談される子どもの性質のなかに「切り替えが悪い」があります。一つの活動から次の活動に切り替わるときに、それまでの活動をもっと続けていたいと泣き喚くなど抵抗してなかなか次の行動に移れないことがしばしばある子どもに対して使われることが多いようです。このような言い回しが使われるようになったのは最近のことで、10年前には使われていなかった可能性がありますし、20年前はほぼ確実に使われていなかったと思います。保育や療育の領域から拡がっていったのでしょうか。

そもそもどんな子どもも、幼児期の前半(1-3歳)において「とことん満足したい気持ち」が十分に満たされることは健康な一生を送るための必要条件で、この年齢で切り替えを要求すること自体が(少なくとも一部の子どもにとっては)不自然なのです。気持ちが十分に満たされるまで余計な声かけをされることなく遊び尽くすことが保障され、一息ついたタイミングでわかりやすく提示された次の活動もまた楽しかったという経験や、次の活動にいったん移っても元の活動にまたいつでも戻ってきて楽しめたという経験を積んでいくなかで、どの子どもも個人差こそあれ、それなりの時期に「切り替える」ようになっていくものだと思います。現代の子育ては、子どもの「とことん満足したい気持ち」を十分に満たすことを疎かにしたままに、大人の都合よく「切り替える」よう過剰に要求しているがため、「切り替えが悪い」状態が続く子どもを増やしてしまっているのではないかと感じます。そもそもここまで「切り替えが悪い」ということが問題視されるようになったのも「次の活動に移ってくれないので手間がかかる・扱いずらい」という大人の都合です。昔から「手間がかかる・扱いずらい」子どもはいたはずですが、手間がかからず扱いやすいものに囲まれた現代の大人はそういったことに苛立ちやすくなっているのだと思います

確かに、自分の動機で行動することが自然であるマイペースな子ども(あるいは自分の眼前に現に見えていて見通しが立つことに基づいて行動することが自然である子ども)は「切り替えが悪い」という状況になりやすく、それがとてもはっきりした形であるのが自閉スペクトラム症の子どもです。ですが、多少マイペースな性質があっても、幼児期前半に穏やかにそのマイペースさが保障されればそれなりの時期に「切り替える」ようにもなるし本人なりに集団や社会との関係を作っていけたであろう子どもが、他の多くの子どもと同じ時期に同じやり方で集団や社会に「合わせる」ことを要求された結果、そのことへの拒否として「切り替えが悪い」状態をこじらせているということも相当にあるように見えます。更に、そこへきて医療が「発達障害」という「病気」を宣伝したものだから、昔の大人が「困った子どもだ」と思うまでで止まっていたのが、現代の大人には「将来社会から疎外されやすくなるのではないか」との不安を掻き立て、医療だ療育だとかえって子どもを不自由にしている(そして、「マイペースさを保証する」ことは疎かにされたままになっている)のだと感じます。

私の発達診療の目指すところは、子どもに関わる大人が子どもに対して「切り替えが悪い」というような言い回しをしなくなることだ、とさえ思っています。病気(=治すべきもの)を持っているのは子どもではなく大人なのではないだろうか。自戒も込めてそう思うことがあります。

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