イタリアのカオスに暮らして②

同窓会報に載せた留学体験記の2回目(後半部分)です。20年近くの歳月が流れ、留学中に書いたことと留学後に日本で生活する中で考えてきたことと少し違ってきているところはあるとはいえ、基本的なところは変わりません。特に「良い医学教育をすれば良い医師ができるはずだ」というような管理主義への反発は、「“良い”子育てをすれば“良い”子どもに育つはずだ」「療育をすれば“普通の子ども”に近くなるはずだ」「感染対策をすれば感染は減るはずだ」というようなことを全力で拒否する今の姿勢にそのままつながっていると思います。読点を入れずに文章を書いてみたいという気まぐれでもって書いたためにとても読みにくいですが、是非お読み頂ければと思います。
大学の同窓会報に載るということでイタリアの医学教育について少し述べたい。高校卒業後直ぐ医学部に入学して通常6年後に卒業して国家試験を経て医師となるところまでは日本と同じだが人口当たりの医師数が日本の約2倍のイタリアでは医師免許だけでは就職することはできず通常はその後4−5年の専門医過程に薄給で通うことになる(この国では20歳台では一般的に定職に付くことはまず不可能で親元で暮らしながらフリーター的立場で過ごす若者が殆どなので成り立っている制度とも言える)。笑い話になる「医師免許を持ったタクシー運転手」には実際まだお目にかかっていはいないが医師としては非常勤や当直をしながら他の仕事をするのは珍しく無く結果的には出産育児をする女性医師を含めた幅広い立場での働き方がありえることになり当直医不足を補うことにもなっている。専門医過程終了後も就職できる保証はなくマフィア的なコネが必要だったりする矛盾と不正に満ちた社会ではあるのだが。
技量として最高に優れ倫理的社会的存在としても立派な医師を養成すべくアメリカ流の実践的なプラグラムを取り入れる流れにもあるのだが教える側教わる側ともに本気では無いように見える。皆に同じ方を向かせようとする力に対しては隠れて舌を出しまた「社会を作り変える」ことを急がない心性が見て取れる。専門医過程の同僚達と私生活を含め行動を共にしていてその「そこいらの姉ちゃん」と大して変わりない価値観に正直驚く一方で20歳台を通じてゆっくりと自分の言葉として医師の言葉を醸成すれば良い彼らの状況が羨ましくもなる。翻って日本を見るに社会の要請に応えまたその要請を強化する形で偉い人が進める医学教育の改革は「優れた医師だけしか許されない」「優れた患者だけしか許さない」といった排除と不寛容の連鎖を生み出している様に見えてならない。少しだけ優れ少しだけ立派な若者もまたそれぞれに見合った仕方で医師であるという社会も多いに問題を抱えつつ何とか機能しうるのだ。