残された日々
2025年3月3日

昨日(2025年3月2日)52歳の誕生日を迎えました。
15年前に撮られた友人Enzoの結婚式での写真が出てきました。眩しかったのか、何かあって笑ったのか、覚えていません。普段から自然と笑顔が出るような生活だったのかもしれません。
今から15年後、私はどんな風でしょうか?今もう既にかなり薄くなった髪の毛は、その頃にはほぼ確実になくなっているでしょう。いま予防接種をしている0歳の赤ちゃんたちが中学校を卒業し、小児科を離れる頃です。そこから更に15年後(82歳)は流石にもう外来はできなくなっているかもしれません。そもそも自分にそんな年月が残されているという保証もありません。子どもたちに役立つことができ、親御さんたちに自分の経験を還元できるような日々が、潤沢に残されていないかもしれないのです。
やり残したことが無いよう、誰に遠慮するでもなく、やりたいようにやるのがいいのだと考え、診察でマスクをしないことにしました(生後半年以内の子どもの予防接種など一部の例外は除きます)。表情と感情を隠さず、今まで以上に子どもや親御さんを正面から見て、はっきりとした言葉で語りかけやすくなったと感じています。私はそれがいいと考えるからそうしますが、そうしない人もいるでしょうし、それはそれでいいのです。自分で変えることのできる自分の領域にだけフォーカスすること、それが結局は心の健康にとって一番なのだと思います。
自分に残された日々が少ないとしたら、いい笑顔を多くの人に見ておいてもらいたいとは思いませんか?