供述によると

イタリア人作家アントニオ・タブッキの小説「供述によるとペレイラは・・」を原語で読みました(原題「Sostiene Pereira」)。20年ほど昔に読んだ日本語訳(須賀敦子訳、白水Uブックス)も面白かったのですが、原語はとても平易で、一気に読み終えることができました。
親ファシズム勢力が検閲や密告などを通じて市民生活を監視するようになった時代のポルトガル、首都リスボンを舞台に、とある夕刊紙のしがない新聞記者ペレイラが不穏な社会情勢に巻き込まれていく顛末が描かれます。新聞記者とは言ってもペレイラは、週1回掲載される「文芸」欄に海外小説の翻訳や亡くなった作家の追悼記事を書くだけで、政治とはもともと無縁でした。しかし、反ファシズム抵抗運動組織に加わっている若いカップルや迫害を逃れてニューヨークへ渡ろうとするユダヤ人女性、自由な言論を求めてパリに亡命する医師など様々な人との出会いを通じて、ペレイラは自分だけ「文芸」欄という殻に閉じこもったまま現実世界で起こっていることに無関心でいいのかと疑問を感じるようになります。終には検閲による処罰の危険を冒しながら自分の「文芸」欄を通じた抵抗を決意するようになるのです。
20年ほど昔に読んだときと異なり、今回はペレイラの境遇に自分の境遇を重ねて読みました。自分の「小児科診療」に閉じこもったまま現実世界で起こっていることに無関心でいいのかと疑問を感じ、週1回のこのしがない「ブログ」欄でささやかな抵抗を試みている自分の境遇です。「ワクチンに反対する記事を書いたら検索サイトからクリニックがはじかれるようになるのではないか」「マスク着用を疑問視する記事を書いていると厚労省に通告されないだろうか」「発熱=検査、発達=療育という図式を乱すような記事は学会から目を付けられるのではないか」「風邪薬や花粉症の薬、保湿剤や湿布を保険適応から除外するべきと書いたら医師会から何か言われそうだ」などの恐怖はブログ開始当初よりはやわらいだものの未だにあります。しかし、その恐怖を乗り越えてでも思いを書き記し、自分のできる手段を通じて問題意識を共有する仲間を増やさなければと強く思うくらいに、子どもを取り巻く社会情勢はひどいと感じています。物心ついたときから周囲の大人がみなマスクをしてスマホを覗き込んでいて、発熱するたびに鼻に綿棒を突っ込まれて、自分のためでないワクチンを打たされて、他の子どもと違うところがあると療育に送られて、成人する頃にはますます肥大化した医療と介護を維持するために膨大な社会保険料を搾取されることが確実で、という世の中で子どもが健康に育つことは難しいのです、と「供述」するようなことにならなければいいがと祈っています。