父親のできること

聖母マリア信仰の篤いイタリアでは、「人々がキリスト教を信仰するのはキリストがマリアの子どもだから」と冗談半分に言われたりします。私はいま高齢の父親の介護をしていますが、それは「父親が母親の夫だから」で、これは冗談でも何でもありません。完全な「お母さんっ子」で、信仰の対象と言ってもいいくらいだった母親を小学生のときに亡くした私には「自分は母親を介護することはできなかったから、その代わりと思って父親を介護しよう」あるいは「母親が生きていたら夫である父親を介護しただろう」という気持ちがあります。

父親とはいろいろな価値観、たとえば子育てへのそれ一つ取ってみても相容れるものはとても少ないのですが、一つ尊敬するのは「母親の生前も死後も、子どもの前で母親を悪く言うことは一度も無かった」ということです。実際に悪く言われるようなことが少なかった人だったのかはわかりませんし、早くに死んでしまっていなければその後にあったかもしれない悪く言うような機会がなくて済んだという面もあるかもしれません。ですが、素晴らしい人だった、特に、素晴らしい母親だった、とただただ言い続け、「一度も」悪く言わなかったのは、なかなかできることではありません。そうだったからこそ、そのようにした父親をいま介護をしようという気持ちを持つことができるように思います。

私は人間を男女の性別だけで判断することはしませんが、「子どもにとっての母親」の完全な代わりを父親がすることは決してできないと考えます。父親がどれくらいそしてどのように子育てに参加するかはそれぞれの家庭毎に考えればいいと思いますが、父親が必ずすべきことは子どもに対して「お母さんは素晴らしい母親だ」と言いつづけることです。もしくは子どもがそのように自然と思うようになるよう母と子の関係に目を配り、必要ならサポートすることです。イクメンとか何とか、そんなことはどうでもいいことなのです。子どもとの関係に悩んでいるお父さん、まずは子どもの前で奥さんを讃え、奥さんを支えて下さい。そうすれば子どもが大きくなったとき、いつか、あなたを見直してくれるチャンスがあると思います。

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