ピアノの先生

チェファルー(Cefalu’), シチリア州

私は小学校から大学までピアノを習わせてもらいました。教わったのは高齢の女性で、若いころはプロのピアニストを育てた厳しい先生だったそうです。「ガラスの仮面」の月影先生に雰囲気が似ていました。なかなか上達しない生徒でしたが、ベートーヴェンのソナタを幾つか弾けるくらいまで続けてごらんなさい、そうすればいったん弾かなくなっても大人になってからいつでもまた弾けますよ、と励まされ、大学卒業までかかってそのレベルに達しました。ごく稀にですが今でも弾くことがあり、子どもの頃は家であまり練習をしなかったけれど自分は弾くことが好きだ、と感じることができます。

レッスン後のお茶の時間、先生が入れてくださる紅茶とケーキでお喋りをしている1-2時間が私にとってはとても大切な時間でした。演奏ではメロディーよりも一つ一つの音の深み、艶やかさが重要であると教わったことは、小説や映画に「何が描かれているか」ではなく「どう描かれているか」を味わうことに繋がったと思います。月影先生と同じように芸術というものには厳しく、「天分」の上に「情熱」をもって血のにじむような努力を継続した先に、限られた芸術家しか到達できない高みがあることを繰り返し聞かされました。ドイツ語をお話しになる先生で、大学でドイツ語を習っていた私にオーストリア・アルプスの村で行なわれているドイツ語学校を教えてくれ、後にその学校でイタリア人と一緒にドイツ語を学んだことが私のイタリアとの出会いになりました。

家族以外で自分の成長を継続的に見守ってくれる大人がいることも大切だったのだと思います。子どもの習い事において何を習うかよりもどんな先生と巡り合うかが重要なのかもしれません。

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