強制と合意

サルデーニャ(Sardegna)

発達外来で大切なことの1つは「本人の動機が不十分な(=嫌がる)活動を強制せず、合意を形成する習慣を作ること」の重要性を家族に理解してもらうことだと思います。しかしそうは言っても「如何に合意を形成するか」はあらゆる場面で難しい課題です。

診察で胸の音を聴診をするとき「服を上げてもらっていいかな?」と訊いていたことがあります。すぐに上げてくれる子どもにはそれでいい(合意が形成される)のですが、嫌がる子どもにも結局は服を上げてもらうしかないのであれば、「服を上げて欲しい」「服を上げてください」という依頼を通り越して「服を上げなさい」「服を上げなければならない」という強制をしていることになります。

「服を上げてもらっていいかな?」という訊かれ方をしたときは「上げない」という選択をしても良くて、自分が何かを選択するときそれは尊重されるのだ、と子どもに信じて欲しい気持ちがあります。最近は「(私は)胸の音を聴きます」とまず伝えるようにしています。察して自ら服を上げる子どもにはそのとき「ありがとう」、察しない子どもには「(あなたは)服を上げます」と伝え、上げてくれたとき「ありがとう」と言います。いつもこうできるわけではなく、これが本当にいいのかもわかりません。聴診が必要ないと判断したときは省略することがあっていいのかもしれません。応じやすい依頼と「ありがとう」を繰り返しながら、私からの声かけが嫌いなことを強制される声かけではないと信頼してもらう必要もあるでしょう。これからも悩みながらやっていくだろうと思います。

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