空港にて

カモーリ(Camogli), リグーリア州

2001年9月ピサ空港。時はアメリカ同時多発テロ事件直後で、イタリアのテレビでも”搭乗者のセキュリティ・チェックを強化する必要がある”と盛んに報じられていた。パスポート・チェック係官のお兄さん「君、順番だから早く来なさい」。私「あ、すみません」。係官(ニヤニヤしてパスポートを受け取りながら)「どうしてすぐ来なかったんだ?」。私「それは…」。係官(隣のレーンを顎で指しながら)「あそこに並んでる綺麗な女性を見てたんだろ」。私「…」。係官「実はな、俺も素敵だと思ってたんだよ」。私「そうですね、同意します」。係官(パスポートの中身を見ることもなく私に返しながら)「次の人!」。

2009年3月ミラノ空港。2年間のイタリア留学を終えて帰国の途に就くときで、スーツケースは書物などで一杯になっている。搭乗カウンター受付係のお姉さん「預け入れ荷物があればこちらに置いてください」。私「よっこらしょ」。秤の目盛りが32㎏を指す(エコノミー・クラスでは荷物重量の上限は23㎏)。受付係・私(共に一瞬動作が止まって)「あ…」。受付係「中身はいったい何ですか?」。私「本とか…」。受付係・私(顔見合わせる。どちらからともなく目くばせをする。周りに気付かれないくらいの微笑みが浮かぶ)。受付係(スーツケースに札を付けながら)「次の人!」

いい加減な国だと思われるかもしれませんが、こんな調子でも不思議なことに大半のことは何とかなって社会が回っていて、その原動力が「自分で考えて、臨機応変に対応する力」なのではないかという気がします。社会がそんな調子なので子どももそのような能力を求められて育つ(そのような教育を受ける)のか、子どもの頃からそのような能力を求められて育つ(そのような教育を受ける)ので社会がそんな調子になるのか、どちらかわかりません。いずれにしても日本社会や教育で重視される傾向にある「皆がすることに合わせ、決まりを守る力」とは正反対の力で、どちらかが100%良いか悪いかではありませんが、子どもたちのそういった「自分で考えて、臨機応変に対応する力」にも光を当てる必要があると思います。

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