遅くてもいい

チェファルー(Cefalu’)近郊、シチリアの漁村

「遅いこと(ゆっくりであること)」は好ましくないことと捉えられがちです。小児医療の周辺だけでも、首のすわりが遅い、離乳食の進みが遅い、言葉が遅い、オムツの外れるのが遅い、食べるのが遅い、切り替えが遅い、診察が遅い、パソコンの動作が遅い、など「遅いこと」への不安や不満を私たちは抱きます。

しかし、それらの一部は、遅いけれどそれほど大きな問題ではなかったり、遅いなりに別の手段を用意できれば事足りたり、遅いものと心の準備をしておけばそれほど苦痛を感じずにすんだり、遅いからこそ大切なことに気付かせてくれたり、というものでもあるのではないかと思います。遅いことで確かに効率性や利便性の一部が失われることもありますが、それらを追い求め始めると際限がなくなり、豊かさや楽しさといったものを失いかねません。

「遅くてもいい」ということを、「本来は速いに越したことはないけれど遅くても(大目に見て)まあいい」ではなくて、「遅いことと速いことに本質的な差はなく、速いことだけを重視する価値観を変えてみればいいのだ」というように理解したいのですが、速いことを前提に設計された現代の生活においてそれは簡単なことではありません。私がいま意識しているのは「自分の毎日の時間の一部をゆっくりな時間にすること」です。ゆっくり食べる、ゆっくりトイレに座る、ゆっくりとした音楽を聴く、ゆっくり本を読む時間を作る、などです。自分がそのように意識することで、自分や他人(子ども含む)や社会が遅いことへの感じ方が変えていければと思っています。

【おまけ】私の好きな遅い(ゆっくりな)曲①中島みゆき「ホームにて」②たま「鐘の歌」③たま「ロシヤのパン」

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